房総半島の神社ライド!超重要神社が並ぶ房総半島は、古代日本(神武天皇の時代)の最前線基地だった!

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房総半島の神社と日本神話について記事を書いてみます。

房総は重要な神社が南北に並んでいるため、日本神話を踏まえてライドするのもたまにはいいでしょう!記事は北の鹿島神宮から南の安房神社へと南下するように書いていきます。

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房総半島は古代ヤマトの最前線!玉前神社、香取神宮、鹿島神宮と錚々たる神社が存在する!

神話の世界に踏み込むということで、どこから話していいのやら・・・って感じですけど、まず踏まえておきたいのは、天照大神(アマテラス)の部下の中で、最強の武神二人、建御雷神(タケミカズチ)と経津主神(フツヌシ)がそれぞれ鹿島と香取の両神宮の主祭神である時点で、房総は東に睨みを利かせるための拠点だったことが分かります。

まるで日の出、太陽のような満月の出 @ 部原海岸にて

後に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が蝦夷(えみし)を東征しに行くときも、上総で態勢を整えてから北上したという伝承があります。そう、房総半島は古代日本にとって超重要な一大拠点だったのです!

鹿島神宮(常陸国一之宮)の主祭神 建御雷神(タケミカズチ)はアマテラス軍最強の武神!

さて、ここで時代を遡り、大国主(オオクニヌシ)の国譲りで出てくる神が建御雷神(タケミカズチ)。出雲を治めていた大国主のところへ、アマテラスが神様を何人も派遣するのですが中々うまくいかず、「建御雷神(タケミカズチ)」がいくことで遂に国譲りが成功します。

このアマテラス軍最強の神が祭られている上に、大地震を抑える為の、岩(要石(かなめいし)まで配置されたスゴイ神社が鹿島神宮です。そして、創建は紀元前660年。つまり神武天皇の時代からある神宮ということになります。

下総の一ノ宮、香取神宮の主祭神 経津主神(フツヌシ)はアマテラス軍の軍神!

香取神宮は下総の一ノ宮!こちらも先ほどの武御雷神(タケミカヅチ)にならぶ、軍神 経津主神(フツヌシ)が祭られています。この鹿島・香取の両神宮が如何に異例であったかwikipediaがかなり分かりやすいです。

神武天皇の時代。2020年は皇紀2680になります  絵はパブリックドメイン

また両神宮には、地震を抑えると言われる要石(かなめいし)があります!

大陸プレートがぶつかる中央構造線の上で、最強の武神が地震をおさえている!

大陸プレートがぶつかる中央構造線要石(かなめいし)が設置されているのは偶然ではないでしょう!地図中にある「諏訪大社」でも、大国主の息子のタケミナカタという武神が要石を持って地震をおさえています^^

© Arid Ocean-Fotolia.com

伊勢神宮も、内宮と外宮で中央構造線を挟んでいます。こちらも豊受大神と天照大神の力で地震を抑えているのでしょう!

地質学と日本神話の奇妙な一致

地質学上、この中央構造線がずれて瀬戸内海が出来るのが20万年~1万年前。それ以前は瀬戸内海は無く、隆起と沈降を繰り返す半陸地状態でした。日本神話でも、最初にイザナギとイザナミがドロドロの大海原に天の逆鉾を突き刺して、淡路島をはじめとする島々を作り上げます。なんだか一致(笑)

どうやら瀬戸内海が出来るとき(石器時代~縄文時代)に居合わせた人々の言い伝えが、日本神話には残されているようです。

上総一ノ宮である玉前神社の主祭神は、神武天皇の母である、玉依姫(タマヨリヒメ)

次に、上総一ノ宮である玉前神社には、初代天皇である神武天皇の母親が祭られています。この点からも、上総が重要な場所だったことがうかがえます。

※因みに「一ノ宮」って各地にある地名ですが、要するにそのエリアで最も重要な神社を指します。

神武天皇の「母親」と「お婆さん」は、なんと姉妹!天の神と、山の神&海の神のハイブリッドで生まれた縄文人が神武天皇

ここで脱線します、衝撃的な話ですが、神武天皇のお婆さんと母親は、なんと姉妹になります(^^; 

姉妹の父親は、海神(ワダツミ)。

©wikipedia

神武天皇のひい爺さんからの系譜をみますと、まず、天孫(天照大神の孫)である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降臨します。妻は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ=山神である大山祇神の娘)。お爺さんは通称 山幸彦=彦火火出見命 (ヒコホホデミのミコト)。妻が豊玉姫=海神の娘。浦島太郎の元として知られていますね。

そして、神武天皇の父親が、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)。その妻が玉依姫=豊玉姫の妹。

天孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天津国から降り立った場所と言われる高千穂峰

ここで気づいた人もいるかもしれませんが、実は神武天皇って、天×山×海の、神々のハイブリッドなんです!よって他の天孫の子(例えば天孫ニギハヤヒと国神との子、宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)がいます)ではなく「神武天皇」が、日本を祈りの力で治める立場の「天皇」になったのだと思います。

※伊勢神宮は天皇家のもので、皇室関係者(祭主は天皇の娘)が今でも、日本の為に祈りをささげています。

いすみ市に玉前神社の元宮とも言われる「玉﨑神社」がある!

玉前神社の元宮といわれているのが、いすみ市にある玉﨑神社なんと母の玉依姫と父の鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)ともにお祭りしている神社

父親の鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)は、育ての親である玉依姫と結婚し、神武天皇をもうけます。ミコトは宮崎県の鵜戸神宮でも祭られております。なんだか凄い名前は、出生の際の深い理由があります(笑)

春分&秋分の日に、ここに入る太陽の光はレイラインと呼ばれ、富士山(コノハナサクヤヒメ)、竹生島(八大龍王、水の神)、元伊勢(アマテラス)、出雲大社(オオクニヌシ)、日御碕神社(スサノオ)と一直線に並びます。この特別な日は境内に巫女さんが舞っていたりする、知る人ぞ知るパワースポット^^ ※この神社の詳しい説明はこちら↓

第1回 玉崎神社|isumi-style.com|癒し・パワスポめぐり
いすみ市中原にある玉崎神社。ここは1200年以上も続く、物部氏直系の子孫が代々神職を務める歴史のある神社。春分・秋分の日のレイラインの入口にあたる「天道の神社」でもあります。

因みに、春分の日、秋分の日はお彼岸にあたります。お彼岸と言えばお墓参り。一方、神社では天皇家の先祖を祭る、大祭が行われます。お彼岸に先祖を祭るのは、神道でも行っていることなのです。

伊勢神宮&出雲大社の「御料地」がいすみ市に存在

さらに房総半島を少し南下すると、伊勢神宮の御料地であった「日月神社、及び、出雲大社の御料地であった「出雲大社」があります^^ 日月神社には特別な樹があります↓

1249年創建の日月神社 祭神は天照大神の別名、大日霎貴命(おおひるめむちのみこと)
日月神社にあるホルトノキ こんな木、沖縄にあるような(笑)

いすみ鉄道の国吉駅ちかくにある出雲大社はこちら↓

この出雲大社の隣には、日本の夜を護る、日御碕神社があります。ご祭神は天照大神の弟、素戔嗚尊(スサノオノミコト)大国主の奥さんの父親

また逆隣りにある国吉神社のご祭神は、「建御名方神(タケミナカタ)」。これは、出雲大社の大国主(オオクニヌシ)の息子で、国譲りの際に、鹿島神宮の建御雷神(タケミカヅチ)に抗戦した神です。そして、元々、諏訪大社に祭られている神。諏訪大社では中央構造線を抑える要石を持っていました。

詳しいストーリーはこちら↓

この場所は奇妙な因縁の親子三代が祭られている、「濃い」スポットです。上のエピソードの他に、素戔嗚が大国主に「国を造れ」といった話がありますwww

「いすみ」と「いずも」の語源は同じ!

また、「いすみ」というのは語源が「出雲(いずも)」と同じと言われています。もともと、いすみエリアは、伊甚国造(いじみのみやつこ)が治めていました。この、「いじみ」は「いずも」と同じ。島根の松江に伊甚神社(いじむじんじゃ)があります。

いすみの砂浜は黒っぽく、御宿に行くと白い砂浜になります。黒いのは砂鉄が含まれているから。古代、貴重な製鉄を行うため、上総にしっかりとした基盤を作ったのでしょう。そういえば出雲にも、たたら製鉄がありましたよね。

日本武尊(ヤマトタケル)の東征について(袖ヶ浦、君津、部原(へばら)などの地名の由来)

神武天皇の何代か後、皇太子である日本武尊(ヤマトタケル)が蝦夷討伐のために房総半島にやってきます。

日本武尊は東海道を通り、相模から海を渡って君津に上陸を試みます。その時、海が荒れに荒れて日本武尊は大ピンチ! 妻のオトタチバナヒメが身を投げて海を鎮めます。そのオトタチバナヒメの袖が流れ着いた場所、だから「袖ヶ浦」という地名になったそうです。

また、勝浦の部原(へばら)にある瀧口神社のご祭神は日本武尊。

瀧口神社の境内、鳥居から部原の海が見える

この場所で日本武尊が大蛇を倒したから、蛇原(へびはら)、これが部原(へばら)になったそうです。

部原の海、サーフィンの世界選手権が行われたこの場所は、サーファーの聖地☆ 元々は陸で瀧口神社の御料地だったとか

日本武尊はこの上総で船を用意して、蝦夷(えみし)征伐に北上したと言われています。その一節はこんな感じ。

日本武尊は、上総にて大きな鏡を王船に掲げて海路から葦浦を回りました。
玉浦(タマノウラ=玉前神社から鹿島神宮のあたりでしょう)を横切って、蝦夷(エミシ)との境に到着しました。

古事記によると、日本武尊は筑波山あたりまでしか行かないので、鹿島神宮のすぐ先が、本当に蝦夷との境目であったことがうかがえます。

鴨川の安房天津にある「天津神明宮」は大国主(オオクニヌシ)の息子「事代主神(コトシロヌシ)」が治めにやってきたときにスタート!

さて、更に南下して、鴨川市安房天津にある天津神明宮について。

この神社の縁起は、「国譲り」で出雲をあけ渡した大国主の息子「事代主神(コトシロヌシ)」がこの地を治めに来た。その時に「事代主神」をお祭りしたのがスタート。わざわざ、あの大国主の息子が治めに来る時点で重要拠点です^^ また、出雲と房総の関係が超深いことがここからも分かりますね。

そして、西暦1100年ごろに「天照大神」「豊受大神」を伊勢から勧請したそうです。

ということで、ご祭神は、伊勢神宮の内宮・外宮に祭られる「天照大神」「豊受大神」をはじめ、事代主神(コトシロヌシ=オオクニヌシの息子)、大山祇大神(山の神)など。また、ご神体の山の山頂には、伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)をお祭りしているとか。

つまり、天&国&山&海の神(目の前が大海原です^^)、及び神々の生みの親(イザナギ・イザナミ)が大集結している神社になります。

※ 因みにこちらの神主さん、とってもロードバイク好きで房総神社ライドというのを立ち上げています。

房総神社サイクルライド推進委員会 / BOSO JINJA RIDE
平成29年12月、房総に鎮座する神社に奉職する若手神職有志を中心に結成された、神職によるサイクルツーリズム推進活動の組織体です。

安房の一ノ宮、安房神社も神武天皇の時代の創建!

安房の国の一ノ宮、安房神社もなんと神武天皇の時代の創建になります!

神社ホームページのご由緒をみると分かりますが、ここの神、天富命(アメノトミノミコト)が神武天皇に命じられて四国の徳島「阿波(あわ)」から来たので、この場所を「安房(あわ)」と呼びます。そして房総は、神武天皇の勅命で開拓されているということも分かります。

神社の主祭神はそのお爺さんにあたる天太玉命 (アメノフトダマノミコト)

安房神社 一之宮 延喜式名神大社

まとめ:古代日本の重要ポイントであった房総半島は、なんと縄文時代から文明が続いていた!

上総興津やいすみ市太東には、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡がいくつか発見されていることもあり、古くから文明があったことが分かります。そしてまた、国譲りの後、大国主の息子が房総半島を統治神武天皇の時代に鹿島・香取両神宮&安房神社が出来上がり神武天皇の勅命で開拓され、さらに神武天皇の父親&母親まで祭られています。

どこからどう見ても、房総半島は古代日本の超重要拠点ですね!

その後、奇妙な縁で大国主と、建御名方神素戔嗚までやってくることになります^^

さらに、「宇宙生誕の神」である、天御中主神社がいすみ市には沢山あります(^^;

昔、九十九里は海でした。中央構造線がズレたときに、銚子のあたりが隆起し(そんなわけで銚子ドーバーライン=屛風ヶ浦があります)、その砂が海流で運ばれて九十九里浜が出来ます。googleMAPに神社を表示すれば一目瞭然ですが「常陸の国」から文字通り、陸になるのです。

↑ 緑は旭市の猿田神社(瓊瓊杵尊を案内したと言われる、猿田彦(サルタヒコ)降臨の地で2000年の歴史があります)

昔はどんな形だったかと、試しに海面を9mほど上げると、千葉はこんな感じの島になります。島だったので、拠点にしやすかったのでしょう!

次回は、京都の一ノ宮「賀茂神社」と、勝浦&大多喜の奇妙な関係に迫りたいと思います^^ (ホンマに書くかどうか、読む人がいるかどうかわからんけど~) 

 

興味がある方へ、読むなら日本書紀より古い「古事記」の方が信憑性があるでしょう。そして古事記よりも古いと言われるホツマツタエ。漢字伝来以前に書かれたと言われる書物で、この本では、神はあくまで生きた人として書かれています。建国の神話が実は歴史だったと捉えられようになるので面白いです。

こちらは神武天皇のお爺さん、瓊瓊杵命にも関係する、陰と陽、葵と桂、大多喜と勝浦の話です↓

房総半島のヒミツに迫る!太古日本の陰陽道と、勝浦×大多喜の奇妙な関係
前回、房総半島の日本神話について記事を書きました。マニアックすぎる内容と思いましたが、意外と好評なので歴史的なお話を新しく書いてみます^^ 房総半島のヒミツに迫る!太古日本の陰陽道と、勝浦×大多喜の奇妙な関係! タイトルがめちゃくちゃ過ぎて...

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